神、仏に対しては畏れ多いことだが、冬季に入って朝に道元『眼蔵』書写、夜に『新約聖書』読書という生活を続けている。汝ハ、イヅレノ味方ナリヤと問われても、それは困る。
村上一郎は聖書を読むなら文語訳に限ると力説した。自分も文語訳『旧新約聖書』を手に入れて読んだ。確かに「幸福なるかな、心の貧しき者」が「ああ幸いだ、神に寄りすがる貧しい人たち」では困る。
ところで年齢とともに視力が落ちてきた。また聖書を読みたいと思っても大きな活字本がない。
書店を巡っていたある日やっと見つけた。塚本虎二訳『新約聖書』(新教出版社)だ。ただしこれは口語訳。「あとがき」に「口語体は威厳なく口調悪く記憶に不便」の批判を意識しながらも、口語訳に賭けてきた思いをほんのわずかながら洩らしている。経典を意味もわからずに権威付けして聴聞することへの批判が、そこにはあった。
口語訳を侮るべからず、だ。
(2013年2月14日)