【往還集126】21 「ふたたび」

黒と臙脂のふたつのセーター。

画展や書展にはよく行く。そのたびに感に堪えないのは、線。名人になるとたった一本の線なのに、実に実にと、「実に」を重ねたくなるほどに生きているのだ。
セーターにもこういう線を編み込めないだろうかーー。そう思い立ったのがいけなかった。ど素人だというのに、墨と筆を出して何回も何回も線だけを書きはじめた。
どうも気に入らない、もう一度と、100回を越えたころ、少しはましな線にたどり着いた。
それをセーターの設計図に移し入れた。まず黒を地に置いて、赤系の線を編みこむ。けっこう、うまくいった、けれど線が、どうも生きていない。
で、もう一度挑戦。今度は臙脂色を地にして白とピンク系の線を入れて。
秋にとりかかり、冬を越えようとする今日、やっと完成。水墨の線のようにはいかないが、編みこみの味が多少は出ているかも。
「ふたたび」と命名。「いつか、再び会える」の思いをこめて。
(2013年2月26日)

【往還集126】20 朝読書

定年退職してからもう10年になるが、朝読書が今でも習慣となってる。
高校の活動でとかく見栄えのいいのは第一に進学率、第二にスポーツ。文化関係はとかく軽視される。
そういうなかで図書部長になったT先生は、全校の朝読書を提案した。いつもは穏やかな人柄だが、芯の強さも秘めていた。
職員会議に議題として出されたとき、勉強嫌いの子がいっぱいだというのにできるわけがない、こんなことは中学でやることだという空気が強かった。
それに負けず、資料を用意して何度も提案。とうとう実現にこぎつけた。始業前の10分間を読書に当てる、心静かになったところで授業に入るというだけのこと。
しかし継続はかなり難しい。
私は副担任だったが、朝読書は自分に担当させてほしいと担任に頼み、毎朝教室へ通った。
学校を去ってからも、一人で朝読書を続けている。現在、トルストイ『戦争と平和』第2巻。
(2013年2月26日)

【往還集126】19 大雪

ベランダ゛の雪が重みで蛇のようになった。
秋保温泉の磊磊峡には連日の寒波で、無数のつららが垂れた。

東京は絶好の晴天。用事があって大井町のホテルに泊まり、翌朝食事に降りて行ったら、 スポーツスタイルの若者たちが列をなしている。東京マラソンの日とは知らなかった。
ところがである、午後の新幹線に乗って郡山を通過するとき、吹雪となった。仙台はさらに大雪。仙山線に乗り換えたら、愛子駅でストップ。自分の降車駅はここだからまずは安心。ところが今度はバスもタクシーもない。一時間歩いて帰るほかない。が、重い荷物はどうする?やっと雪まみれのタクシーが来てくれて、助かった。
それにしてもこの大雪はどうしたことだ。青森の酸ヶ湯温泉では5m50㎝を越え、記録を塗り替えた。
私は岩手に生まれ育った。当時は多雪期で、雪は存分に降った。はじめは風景に見惚れるが、やがてはこのまま生き埋めになるのではないかと恐怖心が湧く。
天使から悪鬼へ一瞬にして変身する、それが雪だと思ってきた。
(2013年2月25日)

【往還集126】18 口語訳『新約聖書』

神、仏に対しては畏れ多いことだが、冬季に入って朝に道元『眼蔵』書写、夜に『新約聖書』読書という生活を続けている。汝ハ、イヅレノ味方ナリヤと問われても、それは困る。
村上一郎は聖書を読むなら文語訳に限ると力説した。自分も文語訳『旧新約聖書』を手に入れて読んだ。確かに「幸福なるかな、心の貧しき者」が「ああ幸いだ、神に寄りすがる貧しい人たち」では困る。
ところで年齢とともに視力が落ちてきた。また聖書を読みたいと思っても大きな活字本がない。
書店を巡っていたある日やっと見つけた。塚本虎二訳『新約聖書』(新教出版社)だ。ただしこれは口語訳。「あとがき」に「口語体は威厳なく口調悪く記憶に不便」の批判を意識しながらも、口語訳に賭けてきた思いをほんのわずかながら洩らしている。経典を意味もわからずに権威付けして聴聞することへの批判が、そこにはあった。
口語訳を侮るべからず、だ。
(2013年2月14日)

【往還集126】17 「翼を下さい」

「左庭(さてい)」は、詩を中心とした同人誌。40頁足らずの薄さだが、作品もエッセイもなかなかのもので、届くのを楽しみにしている。24号(2013年1月)を開いていて、エッセイ「もし、叶うなら」堀江沙オリに引きつけられた。
内容を略記してみる。忘れられない歌に「翼を下さい」がある。不登校をはじめた中二の夏、ラジオの地方ニュースで同級生F君の転落死を知る。彼は野外活動で出かけたときにバスのなかで、この歌をうたった。中三になり、再登校してアルバム編集委員になる。そのときに居るはずの人の不在に気づく。「F君は?」と他の委員に聞くと、「顔写真見つからなかったから」の返事。それ以上いえなかった悔しさを抱いて、はや四十年。
今でもよくうたわれるこの歌。

「色白の少年だったF君の歌声が私の時を止める。」

と結ばれる。
透明なかなしみが、彼方からきていま現在に在る、そういうエッセイだ。
(2013年2月13日)

【往還集126】16 「震災を詠む」・続

今回は高校生の歌がいっぱい寄せられた。3・11のとき、彼らは中学生。卒業式や受験を控えていた。衝撃はあまりに大きく深く、ことばが出てこなかった。2年たって、やっと生まれるようになった。
いくつかの作品を紹介したい。

「家の壁あの日の傷に染みついた潮のにおいが悲しく残る」(岩佐風美香<ふみか>)
「触れること許されぬままお別れを祖母に届かぬ右手が寂しい」(日野はるか)
「あたりまえにありがとうを言いたくて一月(ひとつき)ぶりの灯りはまぶしい」(佐藤紀子)
「失ったものもあるけど「しっかり」と頬をはじいた鋭いみぞれ」(久保田有菜<ゆうな>)
「雪が降る十四歳の私にも全てを白に戻してほしい」(荒舘香純<あらたちかすみ>)

福島からも送られてきた。その1首を。

「除染され再び訪(おとな)ふ日のあらむ亡母(はは)と愛でたき夜の森の桜」(齋藤せつ子)

富岡の桜の名所、夜の森公園。原発に追われていまは伊達市で避難生活をしておられるという。
(2013年2月12日)

【往還集126】15「震災を詠む2013」

昨日は「NHK公開復興サポート明日へin東北大学」が、川内キャンパスを会場に開かれた。
その一つが「震災を詠む」。3・11の年に第1回目をやったから、今回が2回目。選者は東直子さんと自分。
ゲストはフリーアナウンサーの生島ヒロシさんと歌手のクミコさん。控室では生島、クミコ両氏とガハガハ笑い合うにぎやかさ。この分では今日の歌会、大いに盛り上がりそう。なにしろ1回目のときは、1首ごとに会場全体がもらい泣きした。震災後8か月後だったから、被災圏の誰もが生傷を負っていた。
さて山田賢治アナウンサーの司会、加賀美幸子アナウンサーの朗読で会が進むにつれて、超元気のはずの生島、クミコ両氏が何度も慟哭しはじめた。気仙沼出身の生島さんは妹さんも実家も失っている。クミコさんは石巻でリハーサルに入ろうとして被災した。その体験がフラッシュバックしないではいられなかった。
(2013年2月12日)

【往還集126】14 丸刈り・続

数年前のDVDを見ていて、早くも存在感があると思ったのは、前田敦子。
華があり、踊りが抜群にうまいのは板野友美。
いずれもAKBを〈卒業〉した。
峰岸みなみさんはといえば、どう見てもふつうの女の子だ。背中まで垂れる長髪とやさしげな目元に魅力があるといえばいえるが、将来独り立ちできるほどの実力があるかどうかは、わからない。痛々しさは、多分、そのことと関係がある。
禁を破ったからといって丸刈りするほどのことか。ワタシハ恋ヲシマシタ、追放スルナラシテクダサイといえば済むことではないか。ちなみに峰岸さんは1992年生まれだから21歳。当然、もう子どもではない。だのに毅然とふるまえなかった。
AKBはとかく話題をふりまく。最近も左遷問題、男児写真問題がある。
それらは〈祭典〉を盛り上げるための効果がある。が、同時に、凋落を孕んだ危険水位に達していることでもある。
(2013年2月10日)

【往還集126】13 丸刈り

一枚の写真の痛々しさが頭を離れない。
それはAKB48の峰岸みなみさんの丸刈り写真。恋愛禁止を破ったから、謝罪のために髪を落としたという。
私はAKBのファンではない。けれど、これだけ社会現象になっているグループも久しぶりだから、人並みに関心を覚えて、『公式ガイドブック』、数年前からのDVD、『AKB48白熱論争』などなどを集めきた。
ガイドブックには胸のふくらみもあらわな水着姿が満載されている。いわば乙女の旬の姿。だのに恋愛禁止だという。『白熱論争』で中森明夫が「恋愛可能性の過剰と恋愛禁止の厳格化――そのダブルバインドが実はAKBの駆動力のモーターになっている。」という通りだ。肢体のエロスをさらけ出しつつ、恋愛禁止の処女性を売り物にする。そこに若い男達が熱狂するのは、わかりやすい道理。
だが20歳前後の女性たちに、いまどきそんな道理が通用するだろうか。
(2013年2月10日)

【往還集126】12 米口實『惜命』

米口實は1921(大正10)年兵庫県生れの92歳。東大に入学するが学生の徴兵猶予が廃止されてビルマへ送られる。肺結核になり除隊。そして苦難の戦後。この4、5年前からは肺がんに侵されていた。余命を悟り、最後の歌集と覚悟して『惜命』を編む。2月10日すなわち今日が発行日。だが手にすることなく1月15日に死去した。
歌集後半になればなるほど秀歌が続出する。

「くらやみの底に聞こゆる水音のやや遠くなり夜はひらきたり」
「戦力外通告うけて老投手故国に帰る、夏も終りぞ」
「暗闇にうごく鳥たちは目をあけてただひたすらに飛んでゐるはず」
「死はすでに我を鎮めてあるものを静かに覆へ顔の白布を」
「名をなさず死ぬ歌人を憐れ見て辛夷の花は夜ごと散るべし」

命終を受け入れ、たじろぐことなく作る歌の静かさ、そして強さ。とかくだらけがちな春先のわが身は、喝を入れられた気持ちになる。
(2013年2月10日)