今月も短歌総合誌を読み終わった。きらりと光ることばを、また列記しておきたい。
大河原惇行「純粋になることによって、時代が見えてくるのではないか。打算があり、企みがあるところからは、何も見えない。」(「時代と歌、一つの断片」「歌壇」1月号)
加藤英彦「大災害のあと、私たちの戻っていった日常と云う表層の海は凪いでいる。(略)この日常の海は静かにゆれる人生という名の定型である。ただ、その任意の定点に錘を降ろせば、そこにも新たな波動は生まれているのだ。見えないものをみる力、聞こえない声に耳を立てる力こそが想像力の原点だろう。」(「踏みとどまって耐える力を」同)
吉川宏志「私は、もっと〈自分〉が他者に関わっていく歌のほうに魅かれるものを感じた。(略)〈自分〉が居ないところに幸福がある、という感覚には、あまり未来を感じられない。不幸であっても〈自分〉は関わっていく、という姿勢のほうに、多少表現の粗さはあっても、私は共感したのである。」(「〈自分〉の存在しないところにある幸せ」「短歌往来」1月号)
加藤治郎「二〇〇八年六月、秋葉原無差別殺傷事件が起こった。2トントラックで歩行者をはね飛ばし、両刃のダガーで人々を殺傷した。/犯人は一人の男だった。集団による武装化を実施したオウム真理教とは、著しく異なる。彼に目指すべきものはなかった。深く何かを壊したのではなく、既に深く何かが壊れていた。」(「短歌研究」1月号)
水原紫苑「イチローを見ていると、非人間的であることこそ、最も人間的なのだ、という思いがする。その逆説によって、彼は美しい。」(「朱扇」『短歌』1月号)
石川一郎「一流のものは難しい。誰にでも消費はできるが、味わうのは難しい。味わった人にしか一流の本はその本性を明かさない。」(「編集後記」同)
(2013年1月4日)