【往還集125】19 「画文と短歌の二人展」へ

貝原浩のベラルーシの画。
佐藤祐禎作品。

新幹線で福島へ。時雨が去ったばかりで北方には太い虹がかかる。駅近くの市民活動サポートセンターで開催中の画歌展へ。
貝原浩氏はチェルノブイリ原発事故から6年後のベラルーシをたびたび訪れ、そこに生きる人々を描いてきた。大和和紙には大人、子供の飾らない姿が生き生きと描かれている。惜しいことに2005年に病没された。
短歌のほうは佐藤祐禎(ゆうてい)氏。『青白き光』からの抄出だ。この歌集については「往還集123」でもとりあげた。受付でいただいた「『青白き光』を読んでくださる皆様へ」によると、祐禎氏も一号炉建設の頃働いたことがあり、工事の杜撰さや誤魔化しを目撃してきたという。生活基盤全てを奪われた憤り、悲しみ、絶望感。
「しかし、それでも生きなければなりません。幸いに短歌というものがありましたので辛うじて生きることができるのかも知れません。」
この一文をまえにことばが出ない。

(2012年11月8日)

【往還集125】18 てん天こう公に我れを還さん

高校時代の漢文専門の先生は杉山先生という熱血漢。漢詩を朗詠するに目をつぶり、あたかも黄河を眼前にする雰囲気だった。おかげで自分も漢詩好きになり、いまでも時々読む。
目下手元においているのは『中国名詩選』3巻本(岩波文庫)。
おうぼん王梵し志の詩にきて、あまりのことに笑ってしまった。笑う漢詩だってある。
「我れ昔未だ生れざりし時は、めいめい冥冥として知る所無かりき。」とはじまり「なんじ你てん天こう公に我れを還さん、我れに未だ生れざりし時を還せ。」と結ぶ。
編者松枝茂夫の訳文を借りよう。「わたしが昔まだ生まれぬ前(未生以前)は何も知らなかった。しかるに天公は頼みもせぬのにわしを生んだ。わしを生んで一体何をしてくれたか。着るものも無く、わしに寒い思いをさせ、食べるものも無く、わしにひもじい思いをさせただけじゃないか。これ天公よ、このわしをお前さんに返すから、わしを未生の時に返しておくれ。」
(2012年11月5日)

【往還集125】17 「ことりはうす」

ハイタカの剥製。

蔵王山麓には「蔵王野鳥の森 ことりはうす」がある。道から奥まっているので、人目には付きにくい。
けれど建物が思いのほかに立派、展示物もかなり充実している。
ガラスケースの剥製を見てまわるうちに、タカ、ワシ類へ来た。私はつくづくと見惚れてしまった。イヌワシ、量感あるカラダ、シャキッと張った胸、「オレこそが鳥の大将だ」と宣言しているかのごとき眼光。その近くに、カラダはやや小さめながら全身に威厳をみなぎらせた鳥が。これがハイタカだ。
さて、ヨダカはどこ?あの、「実にみにくい鳥」と断言された鳥は。隅々まで探す。
無い。
係員に聞いてみる。「ヨダカ?たしか、いたはずですが」と心もとない。「ガラスケースでなくこちらです」と指差してくれたのは、樹木展示場の枝の奥。よくよく見るとしょぼくれた土色のかたまりがいる。それがヨダカだった。
ヨダカはヨダカらしく身を潜めていた。

(2012年10月31日)

【往還集125】16 樹の音

「ゆと森倶楽部」のヨガ道場の下の清流。

「ゆと森倶楽部」は蔵王の麓にある温泉だ。周りは厚い森林に囲まれ、渓流沿いに露天風呂、そしてヨガ道場もある。広いロビーにはピアノと暖炉。
そこに泊まってきた。
夜になると、真ん丸の月がのぼる。私は読んだばかりの信綱作「夕山のこむら木群が上にまとかなる月はのぼりぬ忘れてあらむ」(『椎の木』)を思い出した。「忘れてあらむ」が不思議だ。月自身が輝いていることを忘れているという意味かも。
蔵王の月もそのように中空にある。
夜半になって、眠りを覚まされた。何か得体のしれない、底籠るような轟音がする。戸を開けると満月。だのに樹木たちが激しく全身を捩り合っている。蔵王を駈け下る強風で全山が揺れているとわかった。
海浜学校で海近くに宿ったとき夜通し轟く海鳴りにまんじりともしなかった。あれと同じように山にもじゅ樹な鳴りがある。
樹鳴りは明け方に止み、どの樹もそ知らぬ顔をしていた。
(2012年10月30日)

【往還集125】 15 STAR BUCKS・トーク

仙台の一番町にフォーラスというビルがあります。ファッションブランドの集合したビルで、地下から上階へと巡るうちに、ファッションの歳時記の真っただ中を行く気分になります。
その2階にあるのが「スター バックス」というレストラン。街に用事があって、疲れるとここに入ってコーヒーを飲んだり、サンドイッチを頬ばったりします。
席は、一番町の見下ろせるところがいい。繁華街を行き来する人々を見て、楽しむことができるのです。自分がこの下を通るときは、眺められる立場になるのに、2階に坐れば今度は逆になる。なんと残酷なんだろうねえとうそぶきながらも、やっぱり楽しむのです。どんな人が通るか。
ブレザーのサラリーマン風の男。仕事時間にしてはのんびりと歩いている。
ベビーカーを押す若ママ。こんな時間に買い物?いや、いまから仕事なので子供を保育所にあずけにいくのかも。
リユックの老夫婦。山グツもはいている。バス停から山へ向かうのかも。
マスクの人もちらほら。目だけの顔って、ナゾがあって皆美しい。
ヘルメットに警棒をもった男二人が直進。金融機関に金の受け取りに行くのだ、たぶん。その他ひっきりなしに人は通り、ひっきりなしに妄想が湧きます。
けれど、不意に「だれも、だれもが知らない人ばかり」と気づき、ガクゼンとなる。あふれるほどにいっぱいだというのに、自分とつながりのある人はナッシング!
私はとっさにひとつの歌を思い浮かべます。それは志垣澄幸氏という宮崎県の歌人が『東籬』収めた一首。

「三階のわがゐる窓にたれもたれも気にとめず街の人らゆきかふ」

いま、自分の覚えたガクゼンが、冷静にしかも的確にうたわれている。断絶感、孤独感が大仰でなく、ふつうにうたわれている。
そう、これはふつうなことなんだ、考えてもどうにもならないことなんだ。
――と考えながら、コーヒーをすすりこむのです。
(2012年10月24日)

【往還集125】 14 桜もみじ

この色をセーターに編みたいと思って、毛糸をさがしたがーー。

家の周りの紅葉は、桜の葉からはじまる。朝夕の寒気が増すにつれて、緑がしだいにくすみ、やがて赤みを帯びでいく。
そのとき、つまり、まだ緑を残しながら赤を加えていくときの色合いには、いつも魅了される。
この桜もみじ色のセーターを編みたいものだと、毛糸をさがした。毛糸屋さんを見つけるたびに入るが、「これ!」と納得するのは、まだない。
もしかしたら、桜もみじそのものを染料にしてたらどうだろうかと調べたこともあるが、そうはいかないこともわかった。でも、まだあきらめきれない。
「それ、どんな色?」と聞かれたら、「桜の葉の緑色に赤みが加わって、緑を終りながらも完全な紅葉にもならない、その中間の冴えないけれども、光の当たりぐあいでは荘厳なまでに輝く、そういう色だよ」と説明するほかない。桜もみじの下に行って「ほら、これさ」と指差すのが、いちばん手っ取り早いのだけれど。
(2012年10月22日)

【往還集125】 13 朗読と演奏と

仙台文学館のまんまるの明かりとり。ここから注ぎ込む光が、水に映える。
「セロ弾きのゴーシュ」を朗読とチェロ演奏によって演じる場面。

今日は仙台文学館を会場に、第53回晩翠わかば賞・あおば賞の授賞式。周辺はすっかり晩秋の気配だ。真ん丸にくりぬいた大きな明かりとりからは、澄明な光が注ぎ、下を流れる水に映える。
滞りなく授賞式も終り、エントランスロビーに会場を移して、「朗読と音楽のひととき」だ。「セロ弾きのゴーシュ」をとりあげることになり、まず自分が若干の解説。その後チェロ演奏を仙台フィルの山本純さんに、朗読を俳優のちのね茅根利安さんとそのグループ3人にお願いする。
7月の自分の賢治講座の時は、講義を終えてから山本さんの演奏をお願いしたが、今回は朗読を劇風に仕立て、その間に演奏をはさむ。
どうなることかとぶっつけ本番気分だったが、やってみたら朗読にも演奏にも迫力があって、とてもよい。会場いっぱいの皆さんの受けも抜群だった。
これは新しい表現ジャンルになりそうだなと、ひそかに喜んだのだった。
(2012年10月21日)

【往還集125】 12 「大震劫火」

空穂の全歌集を読み終わって、佐佐木信綱に入っている。
信綱の歌は、人間関係や仕事関係、つまり生活をはっきりさせないから、作品の背景がわかりにくい。作品は作品だけで読むべしという立場もあるから、それでもかまわない。ところが『豊旗雲』の「大震劫火」になったら、いきなり生々しいではないか。関東大震災に遭遇したときの歌だ。

「まざまざと天変地異を見るものか斯くすさまじき日にもあふものか」

事は大正12年9月1日午前11時58分に起きた。直後に作ったかどうかはわからないが、直下の驚愕を詠んだということはまちがいない。

「天をひたす炎の波のただ中に血の色なせりかなしき太陽」
「空をやく炎のうづの上にしてしづかなる月の悲しかりけり」

地上の炎に対する太陽と月の在りよう。読みながら3・11の日が、いやでも重なってくる。あの夜、全天にわたる星の輝きには、「あ」の一語も出なかった。
(2012年10月21日)

【往還集125】 11 フェードアウト

「往還集」124に演劇人石川裕人(ゆうじん)氏を取り上げた、「東北はなめられている」と。彼の作・演出の「方丈の海」を見に行ったのは8月2日。開演のまえに本人に会って立ち話もした。彼には賢治に取材した劇も少なくない。花巻でも上演したいと意欲的なので、イーハトーブ館の舞台を紹介しようということになった。
ところが今朝の新聞、石川氏の訃報である。死去は11日午後1時、肝細胞がん、59歳。入院したのは9月下旬、「このままフェードアウトしないから」といい残して。再起の意志は十分にあったのだ。「方丈の海」の最終公演は9月8日だから、それをやり遂げての入院ということになる。荒削りながらも骨太い、いかにも石川演劇らしい作だった。
このようにまだまだ余力をのこしたまま「あちら」へ拉致される知人を何人ももってきた。このフェードアウト(溶暗)、拉致でなくて何といったらいいのだろうか。
(2012年10月13日)

【往還集125】 10 潟沼(かたぬま)

翡翠色の湖面。

年に一回は川渡(かわたび)温泉へ。川渡の隣りは鳴子温泉、その奥深くに潟沼はある。強酸性の火山湖のため魚はいない。ユスリカが無数に浮遊するが、人畜には無害。湖面は目も覚めるような翡翠色。まるで天の恵みのよう。今日は重い曇天だが、それでも色は神秘的で、風もないのに波は静かに呼吸している。
古川女子高に勤めていたとき、近くに「白梅山荘」があった。温泉付きの贅沢な合宿所。引率のたびにここに来て散策し、ボートに乗って遊んだ。
そのときの生徒たちはもう立派な大人になり、ほとんどが視界から消えた。
そして自分は初老である。誰にも、誰にも時間は万遍なく降り注いだというわけだ。
だのに湖の不変はどうしたことだ。あの日と同じ翡翠色、周辺を包む光や風や静寂。
おまえさんは、いつになっても、おまえさんのままなのだねえと語りかけたくなる。語りかけたくて、今年もここに来てしまった。
(2012年10月11日)