【往還集125】22 晩秋

月山池の湖面と紅葉の山々。
花巻、南斜花壇の鹿の像と紅葉の雑木林

今年の紅葉は10日近くはおくれた。それでも気温が下がりはじめると、周辺の広葉樹は変化しはじめ、パッチワークのような文様が広がった。
秋保の天守閣公園へ。渓谷と足湯と炎上するばかりの紅葉。
月山池へ。湖を囲む赤銅色の山々、はるかには蔵王連峰の銀嶺。
そして昨日は花巻へ。市民講座「はなまき賢治セミナー」で「鹿踊りのはじまり」と「水仙月の四日」を話すことになっている。早めに行って南斜花壇へ。花の大方は終っているものの周辺の林は赤、黄、茶の広葉樹で埋め尽くされている。その下に坐って見上げると、わずかの風にも葉洩れがこぼれ落ちてくる。さらに風が加わると何枚もの葉が、まるで空気と睦み合うかのように降下をはじめる。
これだけのこと。毎年くり返されるこれだけのことなのに、どうしてこうも息を呑むばかりに美しいのだろう。
歌を作ろうとしてもできはしない。
(2012年11月18日)

【往還集125】21 遺体200~300

河北新報社編集局編『再び、立ち上がる!』(筑摩書房)は記者たちが被災各地に入り込んで取材した記録集だ。
大震災関係の出版物は随分多く読み、その度に胸のえぐられる思いをしてきた。今回も同じだ。
「「遺体二〇〇~三〇〇人」、錯綜する情報」の章がある。情報の大混乱のなかに発せられ、事実であるかのように数日間流れたという。実際の荒浜地区の犠牲者は約180人。自分はライフラインの完全にストップした夜、布団にくるまり、夜の明けるまでラジオをつけていた。未曽有の大災害だとはわかったが、具体的なイメージがつかめなかった。
夜もふけた頃アナウンサーが「荒浜に遺体200から300」と告げ、いきなり慟哭した。
この数値を聞いた途端、まさにらち埒もないことが起こったのだと実感し全身が硬直した。同時に、この事態をまえに何もできない無力感に、したたかに打ちのめされた。

(2012年11月16日)

【往還集125】20 羊について

香川ヒサ歌集『The Blue』(柊書房)に、
「草原に草食む羊 私に見られなかつたらゐなかつた羊」
「私の見てゐない時羊らは羊そのものとして在るのだらう」
がある。アイルランド滞在から生まれた作品だ。
私はこの歌が総合誌に掲載になったときに読んで、強い印象を受け、再び歌集でお目にかかってやっぱり立ち止まった。
描いているのは羊だが、羊を通して人間やら世界やら歴史やらを語っていると思われるのだ。
文明国が新大陸を発見したという歴史がある。その詳細を語る日本の名著は和辻哲郎『鎖国』だ。あれを読んだとき私は「発見」以前に原住民はちゃんと住んでいたのにと思わずにはいられなかった。「私に見られなかつたらゐなかつた羊」とは文明国の傲慢であって、「羊らは羊そのものとして在る」のだと。
そういうことをこの2首は考えさせてくれる。作者の意図とはずれるかも知れないけれど。
(2012年11月15日)

【往還集125】19 「画文と短歌の二人展」へ

貝原浩のベラルーシの画。
佐藤祐禎作品。

新幹線で福島へ。時雨が去ったばかりで北方には太い虹がかかる。駅近くの市民活動サポートセンターで開催中の画歌展へ。
貝原浩氏はチェルノブイリ原発事故から6年後のベラルーシをたびたび訪れ、そこに生きる人々を描いてきた。大和和紙には大人、子供の飾らない姿が生き生きと描かれている。惜しいことに2005年に病没された。
短歌のほうは佐藤祐禎(ゆうてい)氏。『青白き光』からの抄出だ。この歌集については「往還集123」でもとりあげた。受付でいただいた「『青白き光』を読んでくださる皆様へ」によると、祐禎氏も一号炉建設の頃働いたことがあり、工事の杜撰さや誤魔化しを目撃してきたという。生活基盤全てを奪われた憤り、悲しみ、絶望感。
「しかし、それでも生きなければなりません。幸いに短歌というものがありましたので辛うじて生きることができるのかも知れません。」
この一文をまえにことばが出ない。

(2012年11月8日)

【往還集125】18 てん天こう公に我れを還さん

高校時代の漢文専門の先生は杉山先生という熱血漢。漢詩を朗詠するに目をつぶり、あたかも黄河を眼前にする雰囲気だった。おかげで自分も漢詩好きになり、いまでも時々読む。
目下手元においているのは『中国名詩選』3巻本(岩波文庫)。
おうぼん王梵し志の詩にきて、あまりのことに笑ってしまった。笑う漢詩だってある。
「我れ昔未だ生れざりし時は、めいめい冥冥として知る所無かりき。」とはじまり「なんじ你てん天こう公に我れを還さん、我れに未だ生れざりし時を還せ。」と結ぶ。
編者松枝茂夫の訳文を借りよう。「わたしが昔まだ生まれぬ前(未生以前)は何も知らなかった。しかるに天公は頼みもせぬのにわしを生んだ。わしを生んで一体何をしてくれたか。着るものも無く、わしに寒い思いをさせ、食べるものも無く、わしにひもじい思いをさせただけじゃないか。これ天公よ、このわしをお前さんに返すから、わしを未生の時に返しておくれ。」
(2012年11月5日)