シンポジウムのパネラーは俳句=高野ムツオ、詩=和合亮一、短歌=佐藤通雅の3人。それぞれの詩型と大震災の関連を論議するのが今回の主眼だ。我ながら発言しつつ盛り上がり、会場の緊迫感も伝わってきた。内容はいずれ『俳句』に掲載されるそうだから、ここでは楽屋での話題をちょっと。
和合亮一氏は福島からツイッターを発信し、フクシマを発信するトップランナーのような存在になった。世界のあちこちにもメッセージは届いている。ところがこれまで親しかった人たちから、厳しい反応が寄せられて傷ついてきたという。その話を聞いて私は思った、自分の意図にかかわらず代表選手になってしまうと、自分も著書も商品化されてしまう、すると直近の人たちは違和感を覚える、なぜならば実態は〈商品〉にはとても収まりきれないものだから。
これはトップランナーのみならず表現者に必ず付随する問題だ。
(2012年10月8日)