『正法眼蔵』の書写は、目下第五十四「洗浄」の章。
洗浄とはつまりトイレのこと。人はだれもが平等に大小便をする。便のにおいもコアラのようにはいかない。だからとかく忌み嫌われるが、『眼蔵』はちがう。ひとつひとつの動きがすべて仏に通じる。
厠がなくて樹下や露地でするときはどうするか。七個の丸めた土を二列に並べて準備する、終わったらそれで洗浄する。
東司に行くときは、かならず手巾をもつ。余裕をもって行くようにせよ、急にあわててはいけない。排便中は沈黙せよ、隣と話し合ったり笑ったり声をあげて歌ったり、鼻水や唾を周囲にちらしてはならない。無理に息んだり急いだりしてはならない。壁に落書きしてはならない。その他戒めは細かい。
「厠屋は仏道の道場であり真理に出逢う一つの場である」。
トイレタイムに雑誌をみる自分は、大いに反省させられた。けれどやはり雑誌を開く。
(2012年9月9日)