仙台の中央通から北側へと逸れ、二本目の小路に「ルフラン」(REFRAIN)というレストランがあります。ビルからさらに奥まったところにあるので、あまり目につきません。
白い壁、白いイス、グランドピアノ。中庭もあって、ビルの上から柔らかい光が射してくる。静かに流れるクラシック。まるで〈失われた時〉の世界へまぎれこんだよう。
ここを知ったのは2年前の詩の朗読会のときです。
以来、とても気に入って時々訪れては、〈失われた時〉の感じを味わっています。
今日も食後の紅茶を飲みながらぼけんとしていましたが「そうだ、気に入った場所に来たときは自由にひとりトークをしてみよう」といきなり思い立ちました。
今日がその1回目というわけです。自由なトークだから少し長くなりそう。「往還集」はいつも400字ですが、倍の長さまでのばすことにします。
シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を読んだばかりなので、まずこの話題から。シモーヌは1909~1943年の生涯のフランスの女流哲学者です。頭痛の持病を持ちながらも鋭い思索を貫きつづけ、悲劇的ともいえる短い生涯を閉じました。どちらかといえば今の時代に合わない暗い哲学者なのですが、なぜか忘れがたくて何回となく著作を手にしてきました。
『重力と恩寵』は友人に託した手記で、多方面の思索でいっぱいです。私のように神の観念のないものには難解なところもありますが、「なるほど」と合点する個所も少なくありません。
たとえば、
「一つの国家は愛徳の対象とはなりえない。しかし、一つの くには、永遠の伝統を担う環境として、愛徳の対象となりうる。すべてのくにがそうなりうる。」(渡辺義愛訳)
自分だって日本国家は愛徳の対象ではない、しかし日本が好きかと問われれば、好きです。「国家」と「くに」のちがいを、まさやかな目でとらえていた哲学者がいたのです。
34歳、あまりにも短い生涯でした。
(2012年8月28日)