そういえば自分もマンガを描いたことがあったっけ。あれは確か仙台高校に勤めていた時代、30年近くも昔。
自由主義の高校に転勤した自分は、あまりの自由ぶりに愕然とした。なにしろ毎日相当数が遅刻してくる、いつの間にか早退して消える、勉強はしない。
クラスを持った自分は学級通信を発行した。日々のうっぷんを晴らすためにマンガを掲載しはじめた。題して「海の輝く日」。教室のベランダに立つと、はるかに太平洋が開けることからの命名。
おもしろいという評判が立って、某編集者が「佐藤先生のは文章よりもマンガのほうがおもしろいから一冊にしませんか」と提案してきた。「文章よりも」にカチーンときて拒否。その後転勤してどこかにしまいこんだまま。探したら書庫の奥から出てきた。下手さ加減が我ながらおもしろい。
あの時マンガ集を出して新進マンガ家になるんだった。なにもかも後の祭なれど。
(2012年8月19日)