【往還集124】28 それもまたよろし

「往還集121」の「8雑草」に、雑草の均整のとれた姿にみとれてしまったと書いたことがある。
窪田空穂『草木と共に』の「後記」を読んで、目がちかっとした。
「八十代も終りに近く、九十歳に手のとどこうとする老衰者の短歌集である。」
と、まず書く。
「あらゆる植物が皆美しく、生きて、静かにその美を変化させており、深く、測りがたいものを蔵しているように見えて来た。」
『木草と共に』の題はこの心境からとっている。
自分は雑草の均整美を新たに発見した思いで書いた。しかしこれは空穂同様、老境にかかわるものらしい。内心ショック、けれど納得するところもある。69歳を老境というには、いくらなんでも勇み足だろうが、しかし例外なく〈老い〉という空気のような、または塊のようなものが体内に、一歩一歩と侵入してきている。
空穂を読むと、「それもまたよろし」と心も平らに受け入れられるから不思議だ。
(2012年7月9日)