【往還集124】22 箴言性について

「俳句の集い」へ。「震災詠を考える~被災圏からの発信」のパート2だ。高野ムツオ氏が中心となり「小熊座」が主催した。
仙台文学館の会場は時間まえからいっぱいで、ただならぬ熱気だ。あの日からどんどん時間がたつというのに、人間のほうは少しも終息していない。それがこういう場を設けると噴出する。
私は短歌と俳句の特性を改めて考えた。短歌は抒情の「情」の分、〈事〉を目前にすると迫真性が出る。その点が俳句では希薄。だが箴言性を獲得したときの句に、短歌は太刀打ちできない。「情」を媒体とせずに、魂にまっすぐ向かってくるからだ。
その例を釜石在住の俳人照井翠(みどり)さんの句からあげておきたい。

喪へばうしなふほどに降る雪よ
春光の揺らぎにも君風にも君
桜貝海のことばはあの日棄つ
幾万の柩のための雪螢
迷ひなく来る綿虫は君なのか
なんて貌してゐるんだよ寒卵
         (2012年6月30日)