島田幸典「原発と〈私性〉について」(「八雁」2012年5月号)には真直ぐな思考が認められる。原発への見解は内容や立場の是非ではなく「思考や行動の一つ一つに責任の感覚が呼び起こされるという点が重要」「原発は、関わる者の生き方に深く食いこんでくるために、主体としての自己形成を余儀なくされる」。
私は3・11以来いくつかの発言をしてきたが、基本にあるのはこれまでとかく高尚な分野におかれていた科学・哲学その他が、人間の生や生活と直結したという感覚だ。自分の生き様を賭けることなしに、何を語っても、空論になる。ましてや安全地帯に逃れたうえでの議論なら、話にならない。原発を推進したいというとき、破壊された町や避難者を見たうえでもいえるか、自身が原発地帯に住むあるいは自分の町に原発をもってくることもよしとしたうえでのことか。そういう覚悟なしの議論はもう成立しない。
(2012年5月22日)