【往還集124】3 自然詠

短歌分野に、自然詠が少なくなっていることは数年前から指摘されているが、3・11を境にさらに顕著になった。
「たたかいこえてたちあがる緑の山河雲はれて」と高らかに歌ったとき、思想の左派、右派を問わず「緑の山河」としての日本は誇りだった。時代とともに人事へ関心が向かうようになったとはいえ、「緑の山河」への親愛は多くの人に潜在していた。
それが一瞬にして汚れてしまった。汚れの範囲は東北のみならず関東にも広がる。私の住んでいる所は自然豊かで、春とともに新緑が吹き出す。来る年も来る年も、それは変わらない。
だのにはや、かの日の「緑の山河」ではない。山菜採りも渓流釣りもできない。捕獲されたイノシシからもセシウムが検出される。 というわけで、山や川、森や空の表情をうたおうとしても、純粋な自然詠は出てこない。これは短歌1300年の歴史になかった、全く新しい事態だ。
(2012年5月12日)