『日本文学史序説』には何度も漢文が引用される。返り点も書き下し文もない白文だ。これを「シナ語」といっている。
加藤周一はそれらを読めた。しかし今の時代の人はもう読めない。長い間シナ語は教養の中心だったから読めないということは文化と断層が生じたことでもある。
漱石には漢詩がある。神山睦美氏の『漱石の俳句・漢詩』(笠間書院)は、漱石にとって漢詩が自己表現でありえたことを示している。たとえば修善寺大患のときの思い。
仰臥 人 啞(あ)の如く
黙然 大空(たいくう)を見る
大空 雲動かず
終日 杳(えう)として相同じ
これは神山氏が書き下し文にしたもので、原文は白文だ。
漱石の時代はまだこういう自己表現が可能だった。しかし西洋文芸の翻訳が盛んになるにつれて、「もはや漢詩を作る文学者は一人もなく、漢文を楽に読む作家さえ極めて稀になっていた」。
この断層は、もう取り返しのつかないものだろうか。
(2012年4月11日)