超難解な『正法眼蔵』を少しずつ書写する生活を送っているので、たびたび道元の話題になって恐縮。今日写したのは「無情説法」(一七)だが、その視野の広さには思わず眩暈を覚えてしまった。どういうことをいっているか、石井恭二訳で紹介してみたい。
「およそ真理を聞くのは、ただ器官としての耳とそのはたらきによるものではない。人の未だ生まれぬ前、天地開闢以前、さらに終わりない未来、尽きることのない未来にわたり全時間にわたるまでの力によって、全身を挙げた意識をもって聞くのである。身心を超えて真理を聴くのである。」
つまり、人類発生以前から、尽きることなくつづく未来まで、道元は視野におさめている。これをさらに延長すれば、地球発生以前の宇宙から、地球消滅以後の宇宙まで含まれることになる。
鎌倉時代に、すでにこんなことを考えていた人物がいたとはねえ。ほとほとまいってしまう。
(1月16日)