またまた糞尿の話。
私は現職のとき、保健部の仕事を多くした。トイレ掃除は業者に委託する趨勢になっていたが、最後に勤めた学校は珍しいことに生徒の当番がやった。はじめはけっこうきちんとやるので感心。
が、時代と共に手抜きの風潮が出てきて、たちまち荒れ出した。数日放っておくと、まるでゴミ捨て場のような状態になる、男子トイレも女子トイレも。
自分は全校集会などで全員が体育館に集合している折に、全校のトイレ掃除をはじめた。ゴム手、前掛け、長靴、マスクを用意して。もちろん女子トイレも分け隔てなく。それ以前からゴミやたばこ拾いを日常的にやっていたから、延長上のこととして。
汚れきった便器を洗浄すると輝くばかりの白さになる。便器は「ありがとう」と礼をしてくれた。
「学校でなにがあっても、もう怖いものはない」と肝が据わったのは、トイレ掃除をするようになってからだ。
(2012年12月13日)
年: 2012年
【往還集125】28 匂いと臭い
自分が子どものころは、農家の人が肥桶を車に積んで家々の糞尿を集めにきた。金肥が普及するまで、それは続いた。
5年生まで在籍していた前沢小学校には、畑の実習日があった。校舎の裏は長い坂道。登り切ると一面の台地が広がる。うわのはら上野原という。学校耕地はそのなかにある。
実習日には、2人1組になって、かつぎ棒で肥桶を運ぶ。これは4年生以上の仕事。教室から解放されて、遠足気分だ。あまりにふざけすぎて、駕籠担ぎのように走りだし、坂道で肥桶をころがすのもいる。桶の中身は下へと流れてしまうからまたまた大騒ぎ。
台地一帯は、広々とした菜の花畑だ。花の色は混じりけのない黄色で、目の覚めんばかりの明るさ、無数のヒバリも鳴きしきる。菜の花のにおいは、どことなく糞尿に似ている。そのなかをタプンタプンさせて担いでいく。 花と肥桶の匂いと臭い。
いまでも一面の菜の花を見ると嗅覚が甦る。
(2012年12月9日)
【往還集125】27 汲み取り
なみの亜子は、西吉野の山間集落に住みついてから10年になる。新歌集『バード・バード』にはその住環境と日々の生活が色濃く反映されている。なかに、
「汲み取り代一万一千円を支払いぬ糞するくせにしないふりすんな」
があって、思わずにじゅうまる◎をつけた。
水洗トイレの都会生活では、便は一気に暗黒へと吸い取られて跡形もなくなる。金銭がいくらかかったかなんて、考えもしない。ところがなみのさんの所は汲み取り方式。糞のしまつのための金銭もまともにかかる。これでは「私は糞のことなんかしりません」と白を切るわけにはいかない。
人間はどんなに隠したって、糞尿をする存在である、そのことを生の根本に据えなければならないーーと、大仰にいっているわけではないが、この歌はそういう根の所在を確認していると思う。
もし糞尿が下賤だとするならば、なによりも人間が下賤だということになる。
(2012年12月9日)
【往還集125】26 許容量
「塔」12月号の「編集後記」に永田和宏は書いている。
「いろいろな仕事を断ってはいるのだが、それでもそろそろ私の許容量をオーバーし始めている。」
それはそうでしょう、睡眠が3~4時間ではねえ。歳を考えてもっとスリムな生活にすべし、そうでなければある日突然ガクンと折れて、取り返しのつかないことになる。
というようなことを家内に茶飲み話にしたら、即座に「ひとのことばかり、いってていいの」と逆襲されてしまった。あれこれの仕事を抱えこんで、ひとつ終われば次へかかってしまう、ぼんやりしている時間がほとんどないと評される自分。やっとぼんやり時間になったと思うと、かたわらの毛糸かごに手がのび、こんどは編み物に熱中してしまう。
これではイケマセン。同年代の人も次々とあの世へ往っているではないか。次は誰の番?
というわけで来年度の目標は、ぼんやり時間を増やすことです。
(2012年12月6日)
【往還集125】25 佐佐木信綱の子どもの歌
『佐佐木信綱歌集』を朝々に読んでいる。信綱は自分の生活(たとえば仕事や家族)の具体をあまり表に出さない。そのためどうしてもとらえどころのない感じがしてしまうが、時々顔を出す子どもの歌は実に生き生きしている。
『豊旗雲』から。
「夜舟こぐ父にそひゐしむつ六歳の児はころりと臥して早寝入りたり」
「をさなきは松山道をめづらしみ拾ひし松かさを手より離たず」
『鶯』から。
「手をとればふたあし二足三足よちよちと歩みそめたり真赤なる靴」
『椎の木』から。
「交番の上にさしおほふ桜さけり子供らは遊ぶおまはりさんと」
『山と水と』から。
「いきいきと目をかがやかし幸綱が高らかに歌ふチューリップのうた」
こういう具合。特に孫をうたうときの純朴このうえない喜びようは、どうだろう。名士として第一線に立ち、それなりの苦悩も避けがたかった信綱にとって、子どもの世界は、すぐ身近にあるこのうえない解放空間だった。
(2012年12月1日)
【往還集125】24 評論を読む・続
「歌壇」の連載評論山田富士郎「評伝 會津八一」、川野里子「空間の短歌史」は毎回読みごたえがある。完結が待たれる。
その他の評論で、「これはいいところを突いている」と思ったのを拾遺してみる。
「新たな想像はゼロからは生まれない。創造には学びが必要である。」(盛田亭子「小沢蘆庵における伝統と革新」「歌壇」12月号)
「自分自身の心はみずからも知り得ていない深く豊かな混沌の沼であり、容易には表現できないものであろう。」(伊藤一彦「「難しさ」が楽しい」『短歌』12月号)
「家族は、家族としてのみ、この世にいるわけではない。たまたま縁のあった他者である。そこから時代や社会を覗ける窓でもある。」(花山多佳子「存在のオーラを」同)
「どんなにささやかな素材でも、天啓にも似た唐突さで人生や〈私〉について教えてくれる。」(島田幸典「一首の背後にあるもの」同)
(2012年12月 1日)
【往還集125】23 評論を読む
2013年1月号から3回、『短歌』の「作品月評」を担当することになった。短歌総合誌4冊を対象にして作品を評するのだが、この際評論類も全部読んでおこうと決めて、今日やっと終わったところだ。
とかく評論は読まれない、出版しても売れない。しかし捨て置くには惜しいのもいっぱいある。それが長い間の気持ちだったので、数年まえに「短歌往来」の編集長に「評論月評」をやらないかと提案した。OKとなって、1年目は自分が担当した。
実際にやってみると、読むだけでかなりの労力だった。が、その分随分収穫も大きい。今回の対象は作品だけだが、自分の勉強のために4誌全ての評論も読むことにした。内容は歌中心だが、歯ごたえのある評論には、必ずジャンルを越えた普遍性がある。そういうのに出会ったときの充実感は、読む疲れを忘れさせる。評論もまた作品にほかならないと、再認識させてくれる。
(2012年12月1日)
【往還集125】22 晩秋
今年の紅葉は10日近くはおくれた。それでも気温が下がりはじめると、周辺の広葉樹は変化しはじめ、パッチワークのような文様が広がった。
秋保の天守閣公園へ。渓谷と足湯と炎上するばかりの紅葉。
月山池へ。湖を囲む赤銅色の山々、はるかには蔵王連峰の銀嶺。
そして昨日は花巻へ。市民講座「はなまき賢治セミナー」で「鹿踊りのはじまり」と「水仙月の四日」を話すことになっている。早めに行って南斜花壇へ。花の大方は終っているものの周辺の林は赤、黄、茶の広葉樹で埋め尽くされている。その下に坐って見上げると、わずかの風にも葉洩れがこぼれ落ちてくる。さらに風が加わると何枚もの葉が、まるで空気と睦み合うかのように降下をはじめる。
これだけのこと。毎年くり返されるこれだけのことなのに、どうしてこうも息を呑むばかりに美しいのだろう。
歌を作ろうとしてもできはしない。
(2012年11月18日)
【往還集125】21 遺体200~300
河北新報社編集局編『再び、立ち上がる!』(筑摩書房)は記者たちが被災各地に入り込んで取材した記録集だ。
大震災関係の出版物は随分多く読み、その度に胸のえぐられる思いをしてきた。今回も同じだ。
「「遺体二〇〇~三〇〇人」、錯綜する情報」の章がある。情報の大混乱のなかに発せられ、事実であるかのように数日間流れたという。実際の荒浜地区の犠牲者は約180人。自分はライフラインの完全にストップした夜、布団にくるまり、夜の明けるまでラジオをつけていた。未曽有の大災害だとはわかったが、具体的なイメージがつかめなかった。
夜もふけた頃アナウンサーが「荒浜に遺体200から300」と告げ、いきなり慟哭した。
この数値を聞いた途端、まさにらち埒もないことが起こったのだと実感し全身が硬直した。同時に、この事態をまえに何もできない無力感に、したたかに打ちのめされた。
(2012年11月16日)
【往還集125】20 羊について
香川ヒサ歌集『The Blue』(柊書房)に、
「草原に草食む羊 私に見られなかつたらゐなかつた羊」
「私の見てゐない時羊らは羊そのものとして在るのだらう」
がある。アイルランド滞在から生まれた作品だ。
私はこの歌が総合誌に掲載になったときに読んで、強い印象を受け、再び歌集でお目にかかってやっぱり立ち止まった。
描いているのは羊だが、羊を通して人間やら世界やら歴史やらを語っていると思われるのだ。
文明国が新大陸を発見したという歴史がある。その詳細を語る日本の名著は和辻哲郎『鎖国』だ。あれを読んだとき私は「発見」以前に原住民はちゃんと住んでいたのにと思わずにはいられなかった。「私に見られなかつたらゐなかつた羊」とは文明国の傲慢であって、「羊らは羊そのものとして在る」のだと。
そういうことをこの2首は考えさせてくれる。作者の意図とはずれるかも知れないけれど。
(2012年11月15日)