パソコン世界に、bot(プログラムされた自動発言システム)があると、「鳥のさえずり」田中純(「ユリイカ」11・7)で、はじめてしった。田中は、 「春と修羅」の断片化された詩句が、震災直後の状況下で、強く共振したという。たとえば「わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ」「雨はけふはだいぢやう ぶふらない」など。そういわれてみると、賢治には現在を予感させるのがいっぱいある。 ちょうど同じ時期に読んだ岬多可子詩集『静かに、毀れている庭』(書肆山田)で、私も共振を体験した。
夜の飼育小屋で
たくさんの兎がしずかに混じり合っている (兎)
たくさんの天使を死なせてきた気がするので
死んではいけない ということを
言おうとして 言えない
(底に置かれた手のひら)
わたしたちは
生き続けるために殺すのか
殺すために生き続けるのか
(その庭へ向かう径)
どれもこれも、とても切ない。
(10月10日)