【往還集121】2「津波のよう」

 3・11を境として、震災詠はどっとあふれた。詩・俳句・川柳の分野も同じだったようだが、短歌はそれらの比ではない。「量たるや、まるで津波のよう だ」とある会で発言したら、あとで「津波のよう」「瓦礫のよう」はマスコミでは禁句になっているといわれた。「これは迂闊」と恥じ入ったが、来る日も来る 日も震災詠の押し寄せるさまは、「津波のよう」としか表現できない。阪神淡路のときも同じ現象が見られたが、今回ははるかに上回っている。その理由の第1 には、なんといっても災害規模の巨大さだ。海岸沿いの町は壊滅的状態になり、死者・行方不明者も2万を越える。第2は福島原発の事故が、圏内のみならず圏 外まで巻き込む事態になったこと。そして第3は、映像機器の普及が格段に進み、生死の境で記録された状況がほとんどリアルタイムで世界を駆け巡ったこと。 圏内・圏内の境界がかなり溶解してしまったことも、今回の特色だ。
(2011年6月5日)